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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)689号 判決

控訴人 樋口勇 外一名

被控訴人 国

訴訟代理人 石川秀敏 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、別紙目録記載の本件土地が控訴人樋口および田島又三郎の共有であつたこと、被控訴人が昭和十九年以降これを占有して、終戦までは陸軍曽根飛行場、終戦後は進駐軍用地、昭和二十八年十二月十六日以降は小倉空港敷地として使用していることは当事者間に争いがなく、成立に争いない甲第一号証によれば、田島又三郎が昭和二十年四月二十四日死亡し、控訴人田島がその家督相続をしたことが認められる。

二、被控訴人は「本件土地は昭和十九年二月頃控訴人から買い受けた。」と主張する。

成立に争いない甲第九号証、第十号証の一、二、第四十三号証、原審証人岡村明朶の証言により成立の認められる乙第一号証、成立に争いない同第二ないし第四号証、第七、第八号証の各一、二、第九号証、第十号証の一、二、第十三号証、第十四号証の一、二、第十五、第十七号証の各一、二、三、第十八号証の一、二、第十九号証の一ないし四、原審証人原田義彦、広井勉、畠中茂登喜、登本寿三郎、木本新一、青木利貞、上田松次郎、竹井正義、長谷部勣、畦津秀秋、岡村明朶、上田隆一、畠中鶴代、梅村広平、小川継三郎、大隈琢次、中島初、当審証人畠中茂登喜(一回)、畠中鶴代、木本新一、登本寿三郎、青木利貞、上田松次郎、上田隆一、梅村広平、中島初(一、二回)、広井勉、上条弥三郎、伊藤文夫、沼田等、畦津秀秋、小川継三郎、大隅琢次(一、二回)の各証言、原審および当審における検証の結果、同じく控訴人両名各本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く)、を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)昭和十八年わが国本土の空襲を受ける戦局となり、陸軍航空本部は本土防術の一拠点として、本件土地を含む小倉市曽根地区に軍用飛行場を設置することとし、その建設を陸軍第一航空軍経理部に委任したこと、同経理部経営科長陸軍中佐広井勉が地元小倉市東部出張所および出先部隊の協力を得て飛行場敷地予定地六十四万八千坪の土地の所有者、地目、等級、面積を一筆ごとに調査し控訴人樋口および亡田島を含む所有者名簿を作成し、昭和十九年一月下旬現地におもむき、同月二十六日土地所有者のうちの有力者と会合し、翌二十七日控訴人樋口および亡田島を含め土地所有者全員に参集を求めたこと、参集した三、四十名の者に対し戦局が切迫したため飛行場の建設が一日もいそがれる事情を説明し、買上価格を等級別に明示し、敷地の買上を承諾するよう要請したこと、参集者は全員異議なくこれを承諾し、即日同経理部が作成しておいた承諾書に押印したこと、同日の不参者に対しては、控訴人樋口および亡田島を含め、軍の事務担当官および市役所係員を通じて承諾を取つたこと、旧曽根町以外に在住する土地所有者は控訴人樋口および亡田島のほか数名あつたがいづれもその承諾を取り、同年二月一日頃までに全所有者の承諾が取りまとめられたこと、右買上に反対し又は異議を述べた者は全くいなかつたこと、控訴人樋口および亡田島は当時小倉市内に居住しており、その承諾を求めに行くことは容易であつたこと、軍は土地所有者の承諾を得ない間は勝手にその土地を使用しない方針を厳守していたこと、同軍経理郎がその後直ちに建設作業に着手し、敷地の周囲に境界標石を立てたこと、本件土地がほぼ滑走路に当つていたこと、控訴人樋口が小倉市警防分団長として同飛行場建設の勤労奉仕に同年六月頃三、四回従事し、本件土地が飛行場敷地の一部となつたことを知つていたこと、本件土地を含め飛行場敷地六十四万八千坪全部につき所有者別に区分されて買上代金が定められ、全部の代金が陸軍航空本部経理部長から同年暮頃までに支払われたこと、本件土地を含む飛行場敷地六十四万八千坪(二百十六町歩)が国有財産として第一航空軍経理部の国有財産目録および国有財産台帳に登載されたこと、現在三十九筆の土地を除きその余の土地については陸軍省のため昭和十九年二月一日付売買による所有権移転登記がなされていること。

(二)  終戦による陸軍の復員にともない昭和二十年十月十二日同飛行場敷地が小倉市東部出張所長に管理委託され、同年十一月二十三日北九州財務局に引き継がれ、同財務局が同飛行場敷地を国有財産台帳に転記したこと、同飛行場敷地は同年十月一日進駐軍に接収され、昭和二十八年十二月十五日接収が解除されたが、それまで同飛行場敷地に民有地があるとして被控訴人の使用に異議を述べ又は使用料の請求をした者は全くなかつたこと、昭和二十九年春頃控訴人樋口が初めて同財務局に対し本件土地が同人らの共有地であると主張するに至つたこと、終戦後まで所有権移転登記手続のすまない土地のうち前所有者の協力により登記手続がなされたものもあつて昭和三十三年三月同財務局が調査したところ本件土地を含む三十九筆について所有権移転登記手続が未済であつたが、控訴人両名を除いては、被控訴人に売り渡したことを争う者も代金を受領していないと主張する者もいなかつたこと。

(三)  控訴人樋口が昭和十九年当時小倉市警防分団長、同市町会連合会長、父兄会長等の職にあつて、小倉市の有力者として活躍していたこと、田島又三郎が昭和十八年八月頃から身体の自由を失い昭和十九年二月十二日鳥取に疎開したこと、本件土地を含む曽根地区に飛行場が建設されるという噂は昭和十八年暮から流布され、控訴人樋口および亡田島もこれを聞いていたこと、控訴人樋口が国策の遂行に協力し、小倉市における一万一千戸におよぶ家屋の強制疎開の作業を指揮したこと、自己所有の六十一戸の家屋もその対象となつたこと、本件土地は、控訴人樋口と亡田島が昭和十五年四月買い受けてから利用する機会もなく放置していた廃塩田であつて、控訴人樋口は右六十一戸の家屋が疎開の対象となり、亡田島は病気であつて、かつ、両名とも三萩野に相当の財産を共有していたため、本件土地を買上げられることにあまり関心を有していなかつたこと、このため前記会合にも参集せず、軍の、定める買上価格に異議がなかつたこと、控訴人樋口が昭和二十二年三月小倉市船頭町七十四番外一筆宅地百十一坪余を買い受けたところ、これが進駐軍に接収されていたので土地使用料として金千二百七十一円八十八残を福岡特別調達局から昭和二十四年八月支払われたこと、その際同局係員から進駐軍が接収している民有地に対しては使用料が支払われることを聞かされたこと、本件土地が接収されていることを知つていながら、昭和二十九年春まで本件土地の使用につき異議を述べ又は使用料を請求したことがなかつたこと、控訴人樋口および亡田島が本件土地のほかに小倉市三萩野八百八十八番の二、同番の九の土地を終戦前から共有し徴税令書は本件土地の税金と合算して発行されており、本件土地の税額が一割にも達していなかつたため、同控訴人が本件土地の税金も含まれていることに気をとめず支払つていたこと。

以上の事実が認められ、右認定に反する原審証人樋口宗利、当審証人樋口宗利、佐野正夫、原審および当審における控訴人両名の各供述は措信し難く、成立に争いない甲第四十一号証と当審証人畠中茂登喜(二回)の証言によれば、同号証に表示された土地は飛行場の敷地となつている土地ではないことが認められるから、同号証および右証言は、前記認定と矛盾することはない。

三、控訴人は「呉海軍施設部が建設した築城飛行場の敷地の買収手続は粗雑であつて、幾多の買収洩があることからみても、本件曽根飛行場敷地にも買収洩がある。」と主張する。

成立に争いない甲第三十二号証と同乙第十一号証、同甲第三十三号証と同乙第十二号証の百二十二頁(記録千二百二十八丁)から百六十四頁(記録千二百六十八丁)まで、同号証の百七十頁(記録千二百七十五丁)から百九十一頁(記録千二百九十六丁)まで、同甲第三十五号証の一、二と同乙第十二号証の百六十五頁(記録千二百六十九丁)から百六十九頁(記録千二百七十三丁)までとは、その記載内容に照し同一内容の委任状および代金受領証であると認められるが、押印および欄外の記載の状況が異つており、右各号証に当審証人西龍太郎、畦津秀秋、大隅琢次(一、二回)め各証言を総合すれば、右各号証は呉海軍施設部に提出された築城飛行場敷地の買上代金の受領委任状および代金受領証の副本であつて若干の押印洩があること、しかしこれらの正本には押印洩がないことが認められ、また、成立に争いない甲第三十四号証の一、二に前記各証人の証言および弁論の全趣旨(ことに、同号証の一のうち請求年月日欄および作成年月日欄が空欄となつている事実、同号証の一は記録千二百七丁の領収書と同一内容のものと推測されること)を総合すれば、風万証は右施設部に提出された領収書]の副本であつて、若干の押印洩があること、その正本には押印はすべて揃つていたことが認められる。したがつて、右各号証をもつて築城飛行場敷地に買収洩があつたとの事実を認めるに足りず、耐事実にそう当審証人社林一郎、樋口宗利(一、二回)の各供述は、措信できない。その他右事実を認めるべき証拠はない。

四、以上のとおりであるから、本件土地は控訴人樋口および亡田島又三郎が陸軍省の買上を昭和十九年二月一日頃承諾し被控訴人の所有に帰したと認めるに十分である。従つて、本件土地の所有権がなお控訴人らにあることを前提として土地の引渡および使用料相当の損害金の支払を求める控訴人らの本訴請求は理由がない。

よつて、原判決は相当であるから本件控訴を棄却し、控訴費用は民事訴訟法第九十五条第八十九条第九十三条により主文のとおり判決する。

(裁判官 千種達夫 渡辺一雄 和田保)

別紙目録〈省略〉

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